見えないものを見るのは難しい
それ以上に存在するモノの本質を見抜くのは
見えないモノを見るより私には遙かに難しい
シトシトと降りしきる雨。
夏の爽やかな青空は何処へやら、空は鉛色。
薄暗く、雨が冷ややかな風を呼んでいる…。
そんな日だった。
鬱陶しい湿気を帯びた空気では無い…梅雨大国である関東にしては珍しい、冷たい空気を纏う雨。
何だかセンチメンタルな気分にさせる雨が静かな音を立てて降り注いでいた。
そんな雨の日の所為なのか…はたまた気まぐれなのか、自分自身でもよく分からないけれど…私はぼんやりと廊下を重い足取りで歩いている。
何となく真っ直ぐ帰る気も起きなくて、ズルズルと過ごす時間。
放課後に入って結構経つので、残っている生徒もほとんど居ないのか…私の周りは実に静かだった。
窓に当たる雨の滴をぼんやり眺め、室内の温度と外気の温度差によって生じた結露の付いた窓ガラスに私はソロリと手を当てた。
(やっぱり冷たい…)
当たり前の冷たさが、触れた指から伝わり…私は心の中で正直な反応を示した。
窓ガラスに映るシルエットに私は、ゆっくりと首を動かす。
勿論誰が現れたか確認するために他ならない。
だが、その窓越しの人物は私の確認より先に私に声をかけてきた。
「今日和。さん…こんな雨の日に放課後の居残りですか?」
何処か年にそぐわない落ち着きさと穏やかな口調で、その人物…同じクラス大和君は私に不意に声をかけてきた。
私は不意の出来事過ぎて…「大和君…」と小さく呟きに似た音を放つだけに過ぎなかった。
だけど彼はそんな些細な事には気にする様子も無く、私の言葉を待っているかの様にじーっと私を見るばかり。
そう言った訳では無いが、じーっと見られることに慣れていない私は、早々と大和君との会話を終わらせるために言葉を紡ぐ事にした。
「別に補習とかで残ってる訳じゃないよ。何となく」
“それじゃ〜駄目かな?”そう付け足して私が大和君に答えると、彼もまた「いえ。そんな日も有りますからね」とのんきな口調で私に返す。
私もこんな時間にこんな所に居るテニス部部長殿に、同じ問いを投げかけることにした。一種の社交辞令として…。
「そう言う大和君こそ、この雨じゃ部活は休みでしょ。人のこと言え無いんじゃないのかな?」
少し嫌みを含めながら、紡ぐ私の言葉。
だけど彼は気にする様子も無く、少し微笑を浮かべて私の問いに言葉を返してきた。
「そうですねお休みですよ。ボクも何となく残ってるんです。こんな雨の日は少ししんみりしてしまいますからね」
「ふーん。そう…」
大和君の言葉に気の無い返事を返し私は、大和君から視線を雨降る外に目を向けた。
それは有る意味、『もう話はしない』と言うポーズなのだが…少し風変わりな同級生は何故だか知らないがその場を動こうとはしない。
(何故立ち去ろうとしないのかしら?)
不意に浮かぶ疑問も、誰かが答えてくれるはずも無く。
無言で無音の世界が二人を占める。
大和君と私しか居ないその場所は異様な空間の様に思える。
そんな私の思いなど知らない大和君は、独り言なのか…私に話しかけてるのか言葉を紡ぎ出した。
話し出したテーマは、人の本質を見抜くのは大変だと言う話。
そして、人付き合いは難しいと…そう言った話だったように思う。
何せ聞き流した節が強いから。
ともあれ彼の勝手に話し出した、話を頭の中でグルグルと巡らせて私は思った。
(私は貴方の方が分からないよ)
心底思うそんな言葉をグッと堪えて、私は大和君に曖昧に笑みを返した。
(まぁそれは日本人特有の笑ってごまかす態度で…あまり好きでは無いけれど)
アメリカ辺りなら、下手をすると怒られるかもしれないが、此処は日本なのでそんな心配も杞憂でしかない。
何せ私と大和君は互いに日本人だから…。
相変わらず表情の読めない眼鏡越しの大和君はやっぱり何時もの表情で私を見るばかり。
そして彼も何か言う訳でも無い。
お互いに流れる無言という静寂の時間。
サーッと言う雨の音だけが静かに響き、どちらが言葉を発するかを待っている…そんな感じに私は思えた。
(このまま私が何かを言わなければ…この何ともいえない無言の世界は続くのだろうか?)
不意に浮かぶ疑問は、余りにも現実味を帯びていて何だか私の苦笑を誘った。
そしてそれと同時に、ある言葉が私の脳裏を掠めた。
その言葉とは…【雨夜の月】。
何の書物だったかは忘れたいけれど、[あって見えないものの例え]などと意味が書かれていたその言葉。
それが今何だか目の前に居る大和君の事の様に思えて仕方がない。
そんな理由も有って、無言の時間を打破するべく私その言葉を口にしていた。
「雨夜の月って言葉知ってる?」
不意に脈略の無い私の言葉に、普通の人なら顔をしかめる所だが…急な脈略の無い言葉にも、この人は驚くことも無く何時も通りの表情でポムと手を打ちながら言葉を吐き出してきた。
「ああ…確か…“あっても見えないものの例え”でしたね。雨の日の月はよく見えない所から言われる言葉だと記憶してますけど」
私の言葉に補足を付けたように口にする大和君は、「それがどうかしましたか?」と小さく首を傾げてそう言った。
私はその大和君の言葉を聞いてから、苦笑を浮かべた表情で言葉を続けることにした。
「何かそれってさ。大和君の事を言ってる感じすると思ってね。だって、大和君ってよく分からないからさ」
自分で自覚してる程失礼な言葉。
普通なら怒るであろう言葉…実際私がやられたら、確実にムカツク会話。
なのに、言われた方は何処吹く風…気にしたよう様子は無くて…何だか異文化コミニュケーションをしてる気分になる。
「そうですかね?結構ボクってわかりやすい人間だと思うのですが…。まぁ…それを言うならボクもさんの事はよく分からないですよ」
首を軽く傾げて、大和君はそう返してくる。
大和君の言葉に、私は盛大に顔を顰める。
(嫌みの通じない…異星人の様な君に分からない何て言われたくないんだけど…)
正直に思うそんな言葉。
本質が見えないのは、彼自身なのに…そんな彼は気づかない。
(何処か悟りを開いたような態度も…嫌みを嫌みと感じない様も…全てが本当のようで…はたまた紛い物のようで…結局よく分からないとしか言いようが無いのかもしれないわ)
心の中に色々巡る思いを抑えて、私は大和君に返すために言葉を紡ぎ出す。
「余所様の観察と本質を見抜く目を持ってるんだから、私ぐらい見えなくたって良いんじゃ無いの?寧ろその眼鏡越しじゃ〜お互い見えないんじゃないの?」
始めに話していた事を思い出しながら、私は嫌み混じりにそう言ったが…。
「ボクは照れ屋さんなんですよ。ああでも眼鏡はちゃんと見えてますからご心配なく」
ニッコリと毒気の抜けた笑顔を向けて私に返す。
私は噛み合わない会話に疲れを覚えながら、肩を竦めて言葉を返す。
「だったらお互い様なんじゃ無いの」
そう私が言えば、彼は少し考えて「ああ」と短く感心したように言葉を発した。
その短い言葉の後に、大和君はしばらく考えてから…不意に脈略のない言葉を紡いできた。
「雨は何時か止むモノです…だったら…何時か見えますかね?」
相変わらず瞳の見えない眼鏡越しに大和君は言う。
私はその言葉に「何が?」とは尋ねずに、言葉を紡ぎ出す。
「何時かは見えるんじゃない?雨は何時か止むものなんでしょ」
「そうですね。晴れの日なら見えるかもしれませんもんね」
「まぁ…そうじゃない」
「でも…雨を待つのも良いですけど…」
「待つのも良いですけど?何?」
私は彼の言葉を促した。
すると大和君は少し眼鏡をずらし、隠されていた瞳が私の瞳とぶつかった。
(え…ちょっと…何で眼鏡ずらしてるの?)
かなり戸惑う私の事など気にするはずのない大和君は、一人納得気味に言葉を紡ぐ。
「今日が第一歩って所でしたね。さんを知るための…さんがボクに少しでも興味を持ってもらう事の」
そして言いたいことだけ言ってのけると、彼は風のように去っていた。
私は呆然と立ちすくむ。
しかも…大和君の本質などが見えないのは眼鏡の所為では無く…彼自身の持つ性質なのだと実感させらた。
「本当に雨夜の月のような奴だわ…。しかも相当の策士だし…」
私は深いため息を吐きながら、そんな言葉を思わず口にしたのだった。
苦手なクラスメートが…苦手だけど気になるクラスメートに…悔しいけど変わったのだから。
気が付けば雨は止み、空が少し明るく見えた。
まるで、一瞬かいま見た眼鏡の先にある彼の瞳の様に…。
END
2008.5.19. From:Koumi Sunohara